汚い話

汚いとは言っても生活に欠かせない排便の話、ふん詰まり打線でふと思い付きました。
これがもうずっと安定しない状況が続いていて緩かったり固かったり、特に固いときが往生します。
トイレでいきむと脳血管がぷつっと逝きそうでしかしいきまないと出てきませんし、幸いなことに時間はあるので焦らず時間をかけて何度かに分けていきみながらまったりと待つしかない、いわゆる酷い便秘のようにお腹が苦しくなるようなことはありませんが便意があって出ないもどかしさがあります。
固くなるケースは理由が分かっていて何らかの理由で食事量が足りないとき、きっと体が「これだと栄養が足りない、吸い尽くせ」と必要以上に吸収しようとした結果ではないかと、そういう意味ではよく出来ているわけで、そういうときはきっとこうなるんだろうなという予感みたいなものがあり、そしてそうなります。

そして今日も

若いころはそんなこともなく、これも老化のひとつなのかもしれません。
ただ思い起こせば20年ぐらい前に胆嚢を摘出してからという気がしないでもなく、胆嚢は肝臓が作った胆汁を溜めて必要に応じて絞り出して油分を吸収摂取する役割がそれが無くなると胆汁自体は肝臓が作り続けてしかし上手くコントロールが出来なくなるとは手術のときに聞いていました。
よって足りないときは緩くなって多いときに固くなるとは分かりやすく、食事量が足りなくて肝臓が頑張るケースもあるでしょうしそうでなくても一定量の垂れ流しであれば食事量が多ければ緩くなって少なければ固くなるのがこの現象、そう独り合点しています。
そうなるとどうしようもなく日々、安定した食事をするしかないわけで、これがなかなか難しい、そして今日もいきみます。

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