プレイバック2012

岡の4安打にそう言えば藤岡とのトレードだったんだよなぁ、なんて思ったりもしてのプレイバック2012です。
ちょうど10年が経ってこの年のルーキーは藤岡、中後、鈴木、益田の大学生4人は少数精鋭という名の経費節減もちらほらしていました。
その中で期待が高かったのがドラ1を二人獲ったとも評価された藤岡と中後で、トップの写真は両者の性格が出ているお気に入りの一枚です。
期待どおりに藤岡はデビュー戦から3連勝、しかしその後は伸び悩んで6勝の壁を破れないままに終わってしまいました。
目をつぶっていたのが悪かったわけでもないでしょうが先発としてはもう一つ決め手に欠いて、もったいなかったのはせっかく中継ぎで結果が出つつあったときにしかし先発志向で落合コーチにさじを投げられてしまったこと、井口監督になっても引き継いだかのように出番が無くその就任一年目にトレードです。
日本ハムでも一年足らずで見切られて巨人にまたシーズン途中での移籍も翌年に戦力外となり、今は巨人のアカデミーのコーチをやっているようです。
中後は里崎のリードに潰されたと考えていますが横手からのスライダーが武器であっても7割ぐらいがそれで外一辺倒ではさすがにどうよ、やはりえぐい動きをするスライダーでのし上がった東條ですらストレートと半々ぐらいですのでさすがにあれは異常でした。
もっともオープン戦で中日だかが死球が怖くて主力を出さなかった、みたいな制球力が足を引っ張ったのが一番ではあり、写真を撮らせてもらったときも喋くりまくるそのキャラは活躍をしていれば貴重だっただけに、藤岡と同じぐらいに残念だった中後です。

ドラフトも育成も難しい

キャンプ中は藤岡、中後ほどに注目をされていなかった益田は、しかしオープン戦で結果を残して開幕一軍に名を連ねました。
中継ぎでのフル回転は72試合でルーキー最多登板を更新して新人王を獲得して、その後の鴎子奮迅ぶりは敢えて語る必要も無いでしょう。
藤岡や中後はさほどに体型は変わらずも益田はほっそりとしていたものが今はどっしりと、あれだけ投げるに必要な肉体改造だったのだと思われます。
そんな藤岡、中後、益田が揃ってお立ち台に立つなどしたルーキーイヤーに、後頭部は手嶌広報かな、一人だけ出遅れたのが唯一の野手だった鈴木です。
最初の躓きは石垣島でのインフルエンザで、そうでなくても室内練習場でスローイングの指導を繰り返し受けていたのでそういう状態だったのでしょう。
しかし二軍で3割を打って夏前に昇格すると準レギュラーの存在となり、翌年以降は押しも押されぬ主力の一人となりました。
このころから人なつっこさを見せていてそれがチームリーダーに進化して、安田の獲得など難しい立ち位置ではありましたが失った痛手は大きすぎます。
それにしても1巡目、2巡目が消化不良で3巡目、4巡目がキャプテン、選手会長になるとはドラフトも育成も難しい、機会があればまたプレイバックします。

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